2015年1月11日(日)に行われた、「八女ふるさと塾 20周年記念パネルディスカッション」のことが、西日本新聞(2015年1月27日朝刊)に掲載されました。
新聞記事では、「移住」をテーマに特化して取り上げていただきました。誠にありがとうございました。
当日は、パネルディスカッション「これからの八女福島を語る」~ 魅力ある町、住み良い町、町家暮らしetc ~ と題して、4名のパネリストとして高橋宏氏 (八女ふるさと塾 顧問)、梅木隆氏 (宅老所 はるさん家)、白水高広氏(うなぎの寝床 代表)、中島望氏 (中島孝行アトリエ)、PD司会進行を中島宏典(八女町家ねっと事務局)が担当して、行われました。
司会の高橋氏 / 代表世話人 中島氏 挨拶
外・中・内堀の調査結果まとめ / 外堀探索マップ
ふるさと塾長の松田氏 / とにかくお話が面白い
ふるさと塾の活動内容、アンケート結果を熱弁する牛嶋氏
PD司会の中島宏典 / パネリスト 梅木隆氏(宅老所はるさん家)
○ごくごく簡単に、当日を振り返ってみましょう。
まず、PD司会の中島から、福島の成立〜町家の特徴などを早足で説明させていただきました。その後、それぞれのパネリストから、自己紹介+考えていることを15分ずつお話いただきました。
①梅木氏(宅老所はるさん家)
・宅老所を通じて、入所されている方と一緒に楽しみながら、八女周辺の「彩り」「四季」のありのままを体験できている。開所して、ちょうど2年ほど。
・宅老所は、建物は町家のつくりをした古民家を活用。自分で形をつくっていくのではなくて、来てもらった人たち(入所している人たち)が使いやすいように形作っていかれるのを見るのが面白い。
・子どもが高齢者の相手をする、高齢者が高齢者の相手をするというように、普段は介護される側にある方達が、楽しみながらお互いを支えあっている様子を見ることが多い。そういう意味でも、高齢者・子どもに向いた建物だと感じることが多い。バリアフリーにしてしまうと、こういう関係性は出て来ないかもしれない。
・八女周辺には魅力的な場所や機会がいっぱいある。入所されている方と一緒に外出する機会を多くつくっている。高齢者の方が楽しめる場所は、みんなが楽しめると思う!
パネリスト 白水高広氏(うなぎの寝床 代表) / 中島望氏(中島孝行アトリエ)
②白水氏(うなぎの寝床 代表)
・自身は八女に移住して6年程。暮らしていた町家に、お店(うなぎの寝床)を出すことになった。
・筑後元気計画での経験を活かして「地方で、ものづくりのものを買える場所にしよう」というコンセプトで商いをはじめた。
・交通が発達していない昔は徒歩圏内を対象にしていたと思うが、今は車で1日圏内ならば対象にできると考えている。より良い商品と長く付き合っていけるように、修理を受け付けるのが理由の1つ。
・いろんな実験を行ってきた。「もんぺ」もその1つ。要するに、多くの人に知ってもらえる仕組みをつくるということ。
・「つくり手」と「使い手」の間で、販路・商品開発・パッケージ化・流通などを扱う。インドへも行ったが、今後は世界を対象にしていきたい。
・それぞれの店の経営が大前提で、人を呼び、案内し、人々が巡回するという流れがまちづくりだと考えている。
③中島氏(中島孝行アトリエ)
・小学生のときに家族で引越してきた。高校卒業後に東京の設計事務所で働き、数年前にUターンしてきた。
・ふるさと塾は、こどもの頃から関わってきたが、最近は若い人達が空き家を改修して入ってくるということが当たり前になってきて嬉しく思っている。
・関心事の1つが空き家。空き家の活用が45件ほど進んだ。ただ、まだまだ空き家や空き地がある。どのように使っていけるか、考えていきたい。
・自らが関わった修理物件の紹介。履歴を調査し、図面を書くこと、現場で職人さんと打合せをしていくこと。
・昔の写真を手がかりにすることがある。ファサードを復元した例の紹介。古写真は非常に貴重な資料である。改変が行われているもののオリジナルを見つける過程は、宝探しのような感覚であり、町家が元気になっていくことが見える。
・課題もある。伝統技術の継承者が育っていないこと、職人の高齢化、材料の入手困難さ、、、。少しでも、こういう世界があることを知っていただきたいと思っている。
パネリスト 高橋宏氏(ふるさと塾 顧問) / とにかくお話が面白い松田氏
④高橋氏(八女ふるさと塾 顧問)
・福島のまちの歴史の重要さと、これまでのふるさと塾の経緯を改めて語っていただいた。
・自身も古い方の人間だが、まだ以前からいらっしゃる方には新しい住人というように思われていたりもするような、歴史がいくつも重奏するようなまちが福島であると思う。
・町割りができた400年前からの歴史ではなく、もっと古い時代のことを考えると、今でもたくさんのヒントが眠っている気がしている。なぜ、福島に城を築城したのか、いろいろと考えてみてほしい。
・「福島」という言葉の意味を考えるとまた面白い。→松田節が聞けました。
・ふるさと塾では、テント何十張を数人で準備して開いた「かたびら市」、何度も何度も学習会を開いたこと、そして「夜なべ談義」で語りあったこと。いろんなことをやってきたなと思う。
・少し前までは、外からいつでも人が入ってきたいと思えるまちが福島であった。何もしなくても人は入ってきていた。福島はいつでも新しい人達が来たいと思えるまちになってほしいと思っている。
こういう和やかな感じで、あっという間に時間が過ぎてしまったパネルディスカッションでした。
質問では、新聞記事に取り上げられている「移住」が主なテーマになったように思います。PD司会者としては、時間配分など気にせずに進めてしまって反省点ばかりですが、地域にもともとお住まいの方と、新しい住まい手・担い手、そして外部の方が一緒になった会が開催できたことが良かったことの1つではないかと感じました。
(以下、事務局雑感)
町並みの日常では、敢えて聞かない、聞けないことも多く存在しているのだと感じます。なおさら今日の社会では昔ながらのコミュニティでの付き合いは希薄になっていますが、全国的にみて福島地区は、町内会などの組織がしっかりしていて普段からの付き合いが続いている方だと思います。そういった中で、新しく福島に入ってくる人達を受入れる従来型のコミュニティ以外の土壌ができつつあることによって(いまでも耕されており)、ほどよい関係の中で、時代に合わせた新たな動きが出てくるのだと感じる刺激的な時間でした。
例えば、新しい異文化の方がやってきて(自らは良いことをやっているつもりであっても、地元からは侵略者のように思われていて)、お店を開いて賑わいを(無理矢理)つくり出したり、地域のそれまでのルールを全く無視した方が住まうことによって不調和音や迷惑なことが頻繁に起きるとしましょう。そういったことが起きたときにどうするか、起きないようにするのはどうしたらよいのか、起きても仕方がないと思うのか、それぞれが試行錯誤しながら課題解決していくことによって、よりよい暮らしや空間、ひいては地域のアイデンティティが変化しながらも確立され、長く継承されていくのだと思います。一方で、その地域のルールや最低限のマナーなどの範疇を大きく超えてしまうことが起きてしまうと、エリア全体としてマイナスな部分が出てくるのは必然だなと思わされますし、そもそもまちとしては長くは続かないものになってしまうのでしょう。(単に長く続けばいいのかという話はおいておくことにしますが)そういったものをも包摂した動きとして進めていくということもありなのかもしれません。
このようなことを考えてみると、従来型のコミュニティ以外に、課題解決や調整機能を有する土壌ができつつあること、これが今の福島の魅力なのかもしれません。
もともとの地元の人達にとっても、何(誰)をどのように受け入れるのか、どこ(場所?空間?文化?技術?仕組み?)を守るのか、福島の魅力とはどんなことなのか、といったあたりを改めて考える機会になられたのではないでしょうか。福島に移住してきた方々が、こんなに面白い事業や活動をされていることを知れる機会となったのではないでしょうか。新たに福島に来たいと思っている人達がいらっしゃることも、肌感覚として実感していただけたのではないでしょうか。
一方、今回のPDで高橋氏が語られていたように、これまでを振り返ることは非常に重要なことであることも理解できたと思います。今、このような状況になっているのはなぜか、私たち新しく住まい・商いをする人たちは感謝しながら、少しずつでも理解しようとしながら生きていくことを忘れてはいけないのだと思います。
見えるところや見えないところで、地元の方々がリスクを負ってつくられてきた世界を学ぶこと、そして何を大事になされてきたのか、どういったことを引き継いで、どういったことを変えていきたいのか。このあたりから今後のことを考えることが大事だと改めて思わされました。そういった意味で、今後も継続して交流できる場をつくっていくことで知恵を出し合い(情報を交換しながら)、模索しながら、原点に戻って1つ1つ自分が出来ることを実行していくことが、様々な立場の方にとっても有意義になりそうだと実感できた会でした。世代や空間を超えてつながることでしか生まれないこと、それらの実情や内面をしっかりと「外」に向けて伝えていくことができればと思います。
20年前からの活動を継続してこられた方々とご一緒に今回の会を祝福できたことが喜ばしくあり、これからの「八女福島」、ますます面白くなりそうです。
(文責:中島宏典)