【八女茶と許斐本家の歴史展(6/3〜28)】終了しました

日時:2015年6月3日(水)〜28日(日) 10〜17時
場所:八女市横町町家交流館(八女市本町94番地)

八女でのお茶の歴史
緑茶の製造が本格化したのは明治後期からです。大正時代に入ると製造技術も向上し、今の八女茶の原型も出来上がりました。このころ、八女のお茶は「筑後茶」「笠原茶」「星野茶」など複数の名称で呼ばれていました。大正14年に八女郡福島町(現在の八女市本町)で開催された物産共進会の茶の品評会の部の席で、八女郡茶業組合長の許斐本家の三代目・久吉が、蒸製緑茶の特産化として「八女茶」の統一名称を提案、決定したことでその名が広まりました。これまで「八女茶」は多くの人々の努力に支えられ、日本有数の高級茶としてのブランドを確立するに至っています。


代々茶業を生業としてきた許斐本家は、八女福島に唯一残る現役の製茶問屋で、町家建築として江戸後期〜昭和初期までに建てられた当時は、八女最大規模の茶商でした。

八女福島の茶商としての許斐本家の履歴
日本茶は、その長い歴史の中で、手間と時間をかけ、茶葉の中にある本来の風味や旨味を素早く味わえるよう製造するという極到にたどり着き、また喫茶法では、一服・一煎の心を癒す日本の精神文化として発展してまいりました。今回の企画展で、八女から発信する日本茶の文化と魅力に触れてみてください。